愛するとは、美とはなにか
マチネの終わりに(平野啓一郎著)を読んで
天から才能を与えられ、天才ギター演奏家として生きてきた薪野聡志と、イラクで人間深い悲しみと闇に向かい合い続けるジャーナリスト小峰洋子の、大人の恋愛物語。
平野氏の表現力豊かな文章にうっとりするだけでなく、その物語の深さも圧巻だった。
よく恋愛物語にありがちな、出会い⇒ライバルの出現によるすれ違い⇒最終的には結ばれるといった単純なものではもちろんなく、しかしバッドエンドという言葉で片づけるのも違う。
まさに愛とはなにかと真正面から問われる物語であった。
まだ愛を知らない私は、どうにかして最後には二人は結ばれないかとやきもきしながら読み進めていた。
しかし聡志と洋子のお互いの考え方から、あぁもしかしたら愛ってこういうことなのかなと少し学んだ。
人生の主役は誰なのか。自分ではなく、誰かのわき役としてありたいという欲望。
一方でその”誰か”は果たして自分をわき役として望んでいるのか。
愛とは自分の人生をもって相手に捧げることなのではないか。
そう思うと、必ずしも愛とは自分の願いを叶え、自分が幸せになるためものではなく、むしろ自分の欲望を抑え、不幸になったとしても相手を想い続けるという切ないものだ。
その切なさの中に、美しさがあるのかもしれない。
読み終えた後は余韻に浸る時間が必要だ。
その知的で、落ち着いていて、切なくも美しい、平野さんの世界観を何度も味わいたくなる作品。